絶望。

2002年12月26日
それは一体何か?

彼氏にフラれて、男に絶望。

親友に裏切られて、人間に絶望。

先生は期待に答えてくれないから、大人に絶望。

我が国の総理大臣筆頭に、みんな馬鹿だから、政治家に絶望。

色んな絶望がこの世には存在します。

が。

私の絶望はそんなんではなく。

誕生日の日の日記に書いてありますけども、
存在そのもの自体が絶望です。

世界への絶望は、決して誰かがどうこうだからとか理由の付ける必要も無いんです。

この世界が、存在している、それだけが絶望なんです。

さて。

まぁ、そんなこんなで、今年も終わる訳で。
世界は終わらない訳で。

絶望ってなんぞやって言ったら、口で説明するのは、無理。

あたしの感じている絶望感を、誰かその絶望感を知らない人に説明するのは、無理。

ただ、あえて言うならば、
それは矛盾だし、
それは不安だし、
それは不満だし、
そして、それは最大の虚無感。
そして、不信感。

それは、何への?

神への。
人間への。
自分への。

全てへの不信感。

そして、虚無感。

意味を感じない、意味を考える事しか出来ない、事への虚無感。

その意味も、別に地上的な事じゃない。

ただ、そう。

姿さえ見えない、神に願いを。

そんな事は出来ない。

願わない、祈らない。

でも、その長かった、張り裂けそうだった、絶望感も、今は緩和されてます。
はい。

死にたいとか、生きたいとか、そんなんじゃない。

どっちかって言えば、無になりたい。

存在してたくない。

生まれたくなかったじゃない。

存在したくなかった。

その違いを分かる人は、分かってくれたら嬉しかったりで。

はい。

必然性を考えて生きていこうと。

そうすれば、存在しなければならなかったその中に、
意味の無かった中に、意味が生まれ、
そこは、偶然でも何でもない、必然と、認識の改めによって生まれた世界が、まぁ、出来る訳で。

意味が無かった世界に、意味の無い世界に、意味の無い中に、意味が生まれた。

これが、あたしが今年、誕生日を迎え、一歳年を取って、
感じられた、自分から自分への最高のプレゼント。

そこには生きる意味よりも、自分の居る意味よりも、もっとハルカに大きい意味が存在した。
そして、同時に意味は、消えて無くなった。

それが、それである。
それが真理だし、それはまた無意味だし。

でも、それがあたしへのプレゼント。

ありがとう、自分。

それに、ありがとう、ピエロ。

ありがとう、お母さん。

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